2023年8月6日日曜日

2023年8月6日 ヒロシマ原爆忌によせて

  1997年に平岡敬広島市長(当時)からいただいた思い出深い原爆ドームのタペストリー。このタペストリーは、原爆ドームが、1996年に世界遺産登録されたのを記念して作られたもの。それを平岡市長から直接いただいた。

 80年代、東西冷戦の最中、戦術核兵器の配備をめぐって、ドイツを中心に中部ヨーロッパで反核運動が広がった。ところが、ドイツ語の原爆資料がないことを知り、急いで、原爆資料のドイツ語訳を友人のオーストリア人留学生と手掛けることになった。
 それがきっかけとなり、自身の海外留学を機会に「被爆者が描いた原爆の絵」というスライド映像番組を外国語に翻訳する活動をはじめた。各国からやってきた留学生仲間にわずかな謝礼で翻訳をしてもらうのだ。
 その活動を知って、大阪の職業女性団体(BPW)が資金を提供してくださり、ヒロシマ資料を海外に知らせる会が発足、数年かけて12ヵ国語への翻訳を完成させた。翻訳されたスライド番組は各国に送られた。

1997年、今度は、そのスライド番組を東京経済大学コミュニケーション学部の学生ボランティアたちが、当時、まだ最新のメディアだったホームページに加工する作業(HTML版の制作)に取り組み、完成させたデータを女性団体といっしょに広島市平和資料館に寄贈した。

 写真は、市長や取材のテレビクルーが、当時、まだ珍しかったホームページ化された資料を閲覧しているところ。このホームページは、それから何年間も平和資料館のサイトで公開され、海外から多くの人々のアクセスを受けたが、素朴な作りのHPは、その後、ウエッブ技術の進化の中で時代的役割を終えた。

 この市民が描いた原爆の絵は、もとはNHK広島が被爆市民に呼びかけ、数多くの作品が寄せられたものだ。収集に尽力した広島NHKの元スタッフの家族の方が、外国語訳を届けたニュースを聴いて「夫の志を引き継いでくれてうれしい」と手紙をくださった。

 一つ一つの市民の活動はささやかだけれど、その志がリレーされることによって、着実に成果を作り出せる。そのことを実感する経験だった。