2023年8月14日月曜日

マウイ島山火事とラハイナ焼失〜貿易風とハワイ諸島の関係

 ハワイ諸島に暮らすと、つねに東北東の風が安定して吹いていることに気づきます。貿易風です。

図1 貿易風の流れとハワイ

貿易風とは、緯度30度付近にある亜熱帯高気圧帯から赤道に向かって吹く、ほぼ定常的な偏東風のことで、図1が示すように、北半球の北緯20度付近にあるハワイ諸島には、この貿易風が年間を通じて、つねに吹いています。(貿易風とハワイ諸島の歴史的関係については、拙著『ハワイ』(岩波新書)に書いたので読んでいただければうれしいです。)

この東北東(ここでは、簡単に東といいます)の風が、海中の火山活動によって生まれたハワイの島々の気候に大きな影響を与えています。図2が示すように、貿易風の風上にあたる島の東側斜面は湿潤に、風下にあたる島の西側は乾燥します。

図2
東側が湿潤で涼しく、西側が乾燥して高温という条件は、歴史的にハワイの産業や社会構造にも影響をおよぼしてきました。湿潤で涼しく、生活にとって好条件の東側には、裕福な住宅街などが発展し、暑くて乾燥している西側には、サトウキビ・プランテーションが開発され、そこで働く農業労働者や移民たち、先住民ハワイ人たちの居住地が形成されました。

この構造がはっきりと見える島は、カウアイ島です。図3の衛星写真が示すように、カウアイ島は1つの火山(カワイキニ山)を中心にもつほぼ円形の島で、貿易風の影響がはっきりと現れます。図4は、カウアイ島の降水量を示していますが、貿易風の風上(東)は湿潤で涼しく、風下(西側)は乾燥して高温とはっきりと分かれます。

図3 カウアイ島衛星写真

図4 カウアイ島降水量


湿潤で涼しい東側は、緑豊かですが、他方、高温で乾燥した西側は、赤茶けた大地にサトウキビ耕地が広がります。



つぎに、カウアイ島の民族別人口比率をこれに重ねてみましょう。図5は、カウアイ島の地域別の白人系住民比率を示しています。白人人口が、湿潤で涼しい島の東北部に偏っていることがわかります。


図5 カウアイ島白人住民の地域別比率

一方、図6は、地域別のアジア系住民比率を示しています。高温で乾燥した島の南西部に偏っていることがわかります。

図6 カウアイ島アジア系住民の地域別比率


19世紀以来、島の南西部に形成されたプランテーションでの労働を担ったアジア系移民とその子孫たちは、今でも島の南西部に集住しています。それに対し、歴史的に社会の上層を占めてきた白人層は、湿潤で涼しい島の東北部に集まっています。

もちろん、20世紀中盤以降、島の産業構造がプランテーション農業から観光業へと大きく変化したため、このような構造は、今日、崩れつつあります。しかし、それでも、貿易風が作り出した基本的な構造は根強く残っているのです。

さて、マウイ島をみてみましょう。図7は、マウイ島の衛星からの写真で、図8は、島の年間降水量(赤:少↔青:多)を示しています。これをみると、山の東側が湿潤で、山の西側が乾燥していることがわかります。ラハイナは、西マウイ島の中央にあるプウククイ山の西側に位置し、乾燥しているのです。
反対に、東マウイの中央にそびえるハレアカラ山の東側斜面は湿潤で熱帯植物が生い茂り、森林保全区に指定されています。


図7 マウイ島の衛星写真


図8 マウイ島の降水量


今回の森林火災の発生箇所をしめす図9をみれば、それらが山の西側に位置し、乾燥地帯であることが分かるでしょう。

図9 今回の火災発生箇所

ラハイナのハワイ語の意味は、が太陽を意味し、haināが残酷を意味します。「残酷な太陽」つまり、強烈な太陽がつねに大地を焦がしている土地だということです。
このような自然条件を抱えたラハイナの町が、地球温暖化の中で山火事の犠牲となりました。一人でも多くの命が助かることをせつに祈ります。

そして、19世紀に捕鯨基地として繁栄し、また、一時期、ハワイ王朝の首都でもあったラハイナの歴史的街並みが焼失したことは、本当にくやしくて残念です。しかし、第二次大戦で壊滅したヨーロッパの歴史的街並みが再建されたように、歴史あるラハイナの街が美しく再建されることを願ってやみません。