2015年9月8日火曜日

アメリカ日系人の戦時抑留から考える〜安全保障か憲法かという問について

 カウアイ島ワイメアのお寺に滞在しながら、地元日系二世のライフヒストリーをまとめる作業にかかっている。
 日系二世の生活史の特異点は、なんといっても親の国が敵国となった戦時下の経験だ。アメリカ西海岸では、市民権をもつ二世を含む日本人がすべて収容所に抑留されたが、ハワイでは、一世の指導層の一部に限られた。だから、カウアイ島の二世たちは、たとえば自動車の使用制限や夜間外出の禁止など生活上の厳しい制限はあったが、トラウマ的な抑留経験はない。これがいかに彼らの人生観を肯定的なものにしているか計り知れない。

(ところで、最近、オアフ島ホノウリウリにあった抑留キャンプの発掘が行われ、その存在が注目をあつめた。オバマ大統領は同地区を国立公園に指定した。)
オアフ島ホノウリウリ収容所
 日系人に対する、本土とハワイのこの差がなぜ生じたのかを考えるとき、現在の日本の問題を考える重要な視点が含まれることに気づく。
 米本土における日系人抑留は軍事上の必要のためとされた。しかし、実は、司法省は市民権保持者の抑留は憲法違反であるとの懸念を示し、軍も軍事上の現実的必要性はないと認識していた。考えてみれば、軍事上の必要性ならハワイの方がはるかに高かったはずだ。しかし、ハワイでは全員の抑留は避けられた。人口の3割を占める日系人を抑留することの経済的影響の大きさと全員抑留の無益さに対する理性的判断が先行したからだ。
 他方、本土では、政策合理性がないのに、全日系人に対する抑留は実行された。この背後には、「日系人がサボタージュやスパイ活動をするのを防止せよ」と叫ぶ地元政治家たちの存在があった。彼らの意図は、日本人に対する軍事的脅威を煽り、人々の人種差別的な恐怖感情に訴えて手っ取り早く集票しようというところにあった。大統領ローズベルトもそれに同調した。その結果、安全保障を錦の御旗にした彼らの感情政治が、憲法の原則を突き崩してしまった。
 民主主義国家では、安全保障を押し立てた感情政治が横行するとき、憲法順守の理性は後退しがちであることを、日系人抑留の歴史は示している。
 ここから学ぶことは大きい。今日の日本でも、嫌韓を叫ぶ排外感情と中国の軍事的脅威で手っ取り早く集票する政治家たちが目立つ。「憲法守って、国滅びる」などと、大声で叫びまわる政治家もいる。安倍政権自体がその神輿の上に乗っており、有権者の恐怖感情に訴えて反憲法的政策を強行しようとしている。しかし、目先の感情政治による誤った政策決定がどんな悲劇を生むか、日系人抑留の歴史から学ぶべきだ。
二世兵士の帰郷
 歴史を見れば、ハワイの白人指導者たちは、本土とは逆に、人種間の融和を訴え、この非抑留政策を正当化した。本心は経済上の要請だったが、それは言わず、アメリカ憲法の理想主義を建前とした。
「どのような恐ろしい攻撃を受けても、アメリカ流のやり方で対処することを忘れてはならない。…いまこそコスモポリタンな人間として、住民同士が従来からの信頼を忘れていないことを証明してみせる時がきたのだ。」(ハワイ軍司令官のラジオ演説より)
 現実主義に裏打ちされた理想主義があることをこの演説は示している。その結果として、ハワイでは日系二世たちの社会統合は順調に進み、彼らの存在が、戦後のハワイ社会発展の重要な基盤となり、また、日米友好の架け橋の役割を担った。
 当たり前かもしれないが、感情政治を排して、政策決定における理性的判断を重視することがいかに大切か、あらためて噛みしめたいと思う。