2023年3月8日水曜日

災害と戦争における「忘却と想起」〜記憶研究の視点から〜

 災害記憶の世代を超えた継承について調査研究を続けてきて思うのは、戦争の記憶継承との類似性である。辛い記憶を忘れて未来をみつめて復興をめざそうという「未来志向」か、過去の重荷を想起しつづけ現在の戒めにしようという「過去の保持」かの葛藤は、災害でも戦争でもよく似ている。

われわれの研究班が実施した震災後世代に対する調査でも、男性は忘却志向なのに対し、女性は辛い記憶の保持に積極的だという結果がでている。ただ、災害の記憶の想起については、政府も世論もメディアも一般論では前向きだ。しかし、いったん想起すべき記憶の内容に踏み込むと、防災に役立つ記憶は優先しても、犠牲者の悲惨なエピソードについては及び腰であるなど、単純にすべての記憶の継承に受容的ではない。

災害でもこのようであるから、戦争の記憶についてはなおさらだろう。たとえば、今、日韓で確執が続いている徴用工問題の経過をみると、忘れたい側と想起を続ける側との溝の深さを痛感せざるをえない。

記憶研究で著名なドイツの研究者、アライダ・アスマンは、論文「トラウマ的な過去と付き合うための4つのモデル」(アライダ・アスマン、安川晴基訳『想起の文化:忘却から対話へ』岩波書店、2019年に収録)の中で、両者を対立させるだけでは、問題の理解や解決にはならないと書いている。さらに、アスマンは、これまで人間がこの問題に対処してきたやり方には、4つのモデルがあったと指摘する。

1.対話的に忘れること。2.決して忘れないために想起すること。3.克服するために想起すること。4.対話的に想起すること。

そして、アスマンはこう付け加えている。
「忘れること(山中注:1の「対話的に忘れること」を選択)が真価を発揮するのは、とりわけ、対称的に暴力が行使されたあとか、あるいは、新たな同盟関係が築かれねばならない特別な政治的状況下だ。しかし、極度の暴力が振るわれた非対称的な関係が問題となっているときには忘れることは失敗する。」

彼女の議論に従えば、韓国にとって1の「対話的に忘れる」モデルの選択がまがりなりにも可能であるのは、朝鮮戦争で暴力を行使しあった南北間かもしれない。しかし、韓日のような植民地統治の被害者と加害者の間の非対称的な関係では失敗することになるだろう。

ところで、最近、日本では「対中脅威を前に日韓がともに備えるべきだ」と一部のメディアや政治家が主張しているが、これなどは、「同盟関係が築かれねばならない特別な政治的状況」に当たると考える人もいるかもしれない。実際、韓国の保守系政権も、同じ発想で「対話的に忘れる」モデルに傾きつつあるようにみえる。しかし、そんなことは可能だろうか?

アスマンはこうも書いている。「歴史のトラウマは、共通の未来を築くための基礎になりうる。この想起は、被害者にとっても加害者にとっても、彼らの集合的な自己像の不可欠の部分になっているので、…過去の保持のこの形式は、未来永劫続く」と。
被害者にとってアイデンティティの一部となっている記憶は、たとえ目先の共通利益があっても、忘却することは結局できないのではないだろうか。まして、過去のある時点で結ばれた条約を盾にして、「解決済み」だと主張しても、それが、トラウマとなった記憶を忘却させるわけではない。

ひるがえって、災害記憶の継承についても、それはいえるだろう。防災関係者が「防災に役立つ記憶の継承が必要」だといっても、なにが防災に役立つかは、人びと、とりわけ被災者の経験や立場で異なるだろう。まして、被災のトラウマを抱えて生きる被災者にとっては、役立つ記憶だけを継承するという姿勢それ自体が、新たな苦痛となるかもしれない。
そして、そのようなやり方は、結局失敗するように思えてならない。