2011年6月25日土曜日

領家穣先生への追悼文


2011年5月14日に逝去された領家穣先生のお別れの会で、以下のような追悼文を読ませていただきました。

領家先生
 今日は、珍しくお話しにならず、静かに聞いてくださっておられますね。
 先生のことばの中で、私が一番印象に残っていることばは、「教えないのが教育や」ということばです。
 私は、学生時代、先生にとって、一番できの悪い学生のひとりだったと思います。
それで、大学院進学に先立って、大学院で先生の教えを受けたいと申しでたとき、言下に、「やめとけ」と言われました。
「成績が悪いからですか」とおどおどと聞き返すと、「いや、そうやないんや。教えを受けようというのが、そもそも間違ごうとるんや。それだけの世界や」
 先生は私の入学に最後まで反対されたそうです。
 しかし、さいわい、ほかの先生方が
「まあ、領家先生、いれたりなはれや。可哀想やないですか」
 と説得してくださったお陰で、入学できたのですが。
 その後、領家先生の座右の銘の1つが、「教えないのが教育」というものであることを知ったのです。
 研究者の自立。
 そして、真理の前では、教授も学生も対等だという、先生独特のリベラリズムを、先生らしい、ちょっとぶっきらぼうな言い回しで表現されたことばだと思います。
 しかし、授業が始まると、この「ことば」の真の意味が痛いほど分かるようになりました。
 何を話しておられるか、ほとんどわからないのです。そもそも教えようという気がないんですから。講義は、もう難解な独り語りなのです。
 そのうえ、講義の場は、教室ではなくて、多くの場合、居酒屋でした。
 そこでは、学生が分かろうが分かるまいが、お構いなしに、先生の頭脳の中に浮かんでくる言説が、ほとばしるように口から流れ出てくる。それを必死で聴き取っていくのが、私たち学生の仕事でした。
 その結果、多くの同級生は、理解できない自分の能力に自信喪失、ショックで脱落していきました。私は、脱落する前に、先生のところは修士課程だけにして、アメリカの大学に脱出しましたので、なんとか今も、この業界でやっております。
 ただ、その後も、先生のもとに通い、先生の話を聞き続けるという荒行だけは、続けてきました。そうです。なんとか先生の難解なモノローグを解き明かしてやりたいという密かな野望をいだいていたからです。
 そして、その後、ひとつの方法を、なんとか開発することができました。
 その方法については、最近出版した本の中で、先生のお人柄とともに、紹介しました。ちょっと読みます。

 わたしが大学院時代に教えていただいていた領家教授は、理論社会学が専門でしたが、部落差別や人権問題にもすぐれた研究をつづけてこられた研究者でもありました。しかし、教授は、また、めったに論文を書かないことで有名でした。その上、お酒が大好きで、教室での授業が終わったあと、いつも大阪の十三にある万長という居酒屋に学生たちを伴い、お酒を飲みながら授業の延長をされるのでした。お酒が入ることもあって、教授のお話は、どんどん話題は変わるし、あちこち飛ぶし、先生には当然でも、学生には論理に飛躍があって、ときどき何を話しているかわからなくなってしまいました。
 さて、教授が退職されるとき、わたしたち弟子たちの間で、この分かりにくいけれども、たいへん意義深い酒場での授業を一度しっかりと記録しておこうという思いが強くなりました。そこで、教授の酒場授業をシステマティックに記録する方法を工夫してみようということになりました。思案を重ねた挙げ句、最後にたどり着いたのが次のような方法でした。
 それは、デジタル映像とデータベースを組み合わせたマルチメディアだったのです。これをコンピュータで操作できるCD-ROMの形で制作することに決めました。
 まず、教授に一切の拘束をはずして自由に語っていただくことにしました。
 教授はお酒が大好きでしたから、弟子たちが教授の自宅に酒の肴をそれぞれ持ち寄って集まり、まず駆けつけ一杯とばかりに、一升瓶から並々とコップにお酒を注いで、それを飲み干すところから、ビデオカメラを回し始め、先生のモノローグをすべて録画したのです。
 (以下、技術的な話なので中略。)
 こうして、このビデオテープをコンピュータに取り込んで、数十個の動画ファイルに加工し、また、肉声をすべて文字化し、それらを組み合わせたマルチメディアのコンテンツが完成したのです。
 これを使えば、先生の「語り」を先生の身振りや口調も再現しながら、自由に並び替えたり、検索したりして、縦横無尽に、とことん聞き込んでいくことができます。こうして、ようやく先生の思想と言説の姿がおぼろげながら浮かび上がってきたのです。

 このCD−ROMは、「デジタル言説〜ある社会学者の思想」というタイトルで出版もされましたし、学会で発表もされました。
 先生の講義がマルチメディアになったという噂をきいて、たくさんの研究者が発表会場に駆けつけ、学会史上初の立ち見まででたのです。
「こんな便利なものがあったら、領家先生の話を聞きたいばかりに、肝臓を悪くすることはなかったのに」と悔しがる研究者もいました。
 その後も、何度か先生のご自宅に集まって、お酒を飲みながら先生のお話をビデオで記録しつづけました。そのビデオテープがすでに30巻以上になります。
 残念ながら、この大量のテープはまだ手が付けられていません。この映像を、現在のもっと進んだメディアテクノロジーを使って、公開したいという願いは、まだ、叶っていません。
 だから、まだまだするべきことは多いのです。「教えないのが教育」だという先生の教えをもっとも真っ当にうけつぐためにも、多くの仕事が残されたままです。
 先生は、お酒の入った竹筒とともに、今、天国に旅立たれようとしていますが、私たちのために、たくさんの宿題を残してくださったのだと思います。
今、先生はめずらしく沈黙しておられますが、きっと心の中で、「まあ、これだけしゃべっておいてやったら、しばらくもつやろ。ま、そういう世界や」と、つぶやかれていると思います。
 これから、残された私たち弟子たちは、記録された映像を手がかりにして、先生の言説と理論の解読を続けていきます。先生、ですから、まだしばらく私たちと係わってやってください。
 そして、そのかたわらで、やすらかに酩酊をつづけてください。また、お目に掛かるまで。
 合掌
山中速人